21世紀を目前にした、1990年代後半。
夏涼しく、冬暖かく。人がもっとも快適な湿度を保ち続け、シックハウス症候群のもとになる化学物質を一切出さない。2006年より構想がスタートし、2009年に第一棟が竣工した予防医学の家『ドクトルハウス』。賃貸物件をメインにしていたネイブレインにとって、初の分譲住宅となるこの家は、山本の理想と信念が詰まっていた。「人を病気にさせない家をつくりたかった」。そう語る彼には、この家をつくるだけの理由があった。創業から続く、ゆずれない想いがあったのだ。
山本は賃貸紹介会社を退職後、輸入住宅会社で経験とノウハウを積み、98年に会社を設立した。理想の物件は、自分でつくるしかない。その想いに共感した元同僚もついてきてくれた。落合、伊藤、杉浦、そして山本。4人でスタートした建築会社の名はネイブレイン。オフィスは地元岡崎市、2DKのアパートの一室に決めた。時代はすでにバブル崩壊後、大手ゼネコンが相次いで倒産をしていた未曾有の建設不況にあった。
全身全霊で仕事に打ち込んだ。人生のうちで、これ以上働いたことはないだろう。それでも、ダメなのか。受注の予定はない。銀行から融資も止められた。誰もが諦めそうな状況で、山本は、歯を食いしばって前を向いていた。「まだ、終わってない。最後まで、諦めるものか」万が一のことを考えて、社員の身の振り先は手配した。いざとなったら、俺が責任をとればいい。
自分たちの作る物件で、誰も不幸にしたくない。山本が創業時に掲げた想いは、少しずつカタチになっていった。内装の10年保証。将来の建て替え時まで考えられた新しいメゾネット。シックハウスの原因にならない建材。こだわりのプロヴァンス風デザイン。サンタクロースの存在を感じられる煙突。そこには、従来の賃貸アパートの常識からは外れた、オーナーの安心と借り主の住む喜びを両立した物件があった。噂をききつけ、ウチでも取り扱わせてほしい、という声が全国から届くという。「正直に言えば、フランチャイズはやりたくない。自分たちの目が行き届かない、全国に事業を広げるより、確信できる物件を地元に送り出したい」
4人でがむしゃらに走った創業から10年。気づけば、社員は30人を超えた。飛び込み営業をせずとも、受注が入るようになった。CADを使える技術者もいる。ネイブレインは、確実に企業として成長してきた。そして2006年、賃貸物件で蓄えたノウハウをもとに、分譲住宅への参入を決定。2009年に1棟目が竣工した『ドクトルハウス』は、これからのネイブレインを左右する存在である。